筆者紹介:植物科学ライター・園芸研究家
バイオテクノロジーと園芸の両分野に精通し、科学的な正確性を保ちながら一般読者にもわかりやすく伝えることを得意とする。特に花卉園芸の歴史と最新の遺伝子工学技術の融合に関心を持ち、植物育種の世界を多角的に紹介している。
英語で「Blue Rose」という言葉が「不可能」や「存在しないもの」の象徴として使われてきたことをご存知でしょうか。
古くから世界中の育種家やバラ愛好家が夢見た青いバラ。
しかし、数世紀にわたる品種改良の努力にもかかわらず、その誕生は叶いませんでした。
なぜ青いバラはこれほどまでに難しかったのでしょうか。
この記事では、青いバラが存在しなかった科学的な理由から、不可能を可能にした品種改良の壮大な歴史、そして未来への展望までを、詳しく解説していきます。
目次
青いバラが存在しなかった科学的理由
人類がどれだけ青いバラを渇望しても、自然界には存在しませんでした。
その理由は、バラの遺伝子レベルでの根本的な制約にあります。
バラに欠けていた「青色遺伝子」
植物が青い花を咲かせるためには、デルフィニジンという青色色素を作り出す必要があります。
そして、デルフィニジンを合成するためには、フラボノイド3′,5′-水酸化酵素(F3’5’H)という酵素を作り出す遺伝子、通称「青色遺伝子」が不可欠です [1]。
しかし、バラにはこの青色遺伝子がもともと存在しませんでした。
これはバラに限った話ではなく、イチゴやリンゴなど、バラ科の植物全体に共通する特徴です。
遺伝子がない以上、いくら異なる品種を交配させても、青い色素を持つバラを生み出すことは原理的に不可能でした。
これが、従来の品種改良が越えられなかった最も大きな壁だったのです。
花の色を決めるアントシアニンのメカニズム
花の色は、主にアントシアニンという色素の種類と量によって決まります。
アントシアニンは、その化学構造の違いによって、主に3つの系統に分類されます。
| アントシアニンの種類 | 主な色 | 含まれる植物の例 |
|---|---|---|
| ペラルゴニジン | オレンジ、鮮やかな赤 | サルビア、ゼラニウム |
| シアニジン | 赤、紅色 | バラ、カーネーション |
| デルフィニジン | 紫、青 | リンドウ、キキョウ、ペチュニア |
これらの構造の違いは、水酸基(-OH)の数にあります。
シアニジンが2つの水酸基を持つのに対し、デルフィニジンは3つ持っています。
このわずかな差が、花の色を大きく左右するのです [2]。
バラが元々持っているのはシアニジン系の色素のみ。
そのため、どんなに頑張っても赤やピンク、白といった色しか作り出せなかったのです。
さらに、研究が進むにつれて、たとえデルフィニジンを合成できたとしても、それだけでは真っ青な花にはならないこともわかってきました。
花びらの細胞内のpH(酸性度)や、金属イオン、他の色素(コピグメント)との相互作用など、複数の条件が複雑に絡み合って、初めて美しい青色が発現するのです [2]。
人類が挑み続けた青いバラへの道
科学的には不可能とされながらも、人々は青いバラへの憧れを捨てきれませんでした。
遺伝子という概念がなかった時代から、育種家たちは試行錯誤を繰り返してきたのです。
従来の品種改良による挑戦
青いバラへの挑戦は、まず「紫色のバラ」を作出することから始まりました。
赤色から赤みを取り除き、青に近づけていこうというアプローチです。
その歴史は20世紀半ばに遡ります。
- 1945年: イギリスのマグレディが、薄紫にベージュとグレーが混ざったような特異な色調の「グレイ・パール」を発表。当初イギリスでは評価されませんでしたが、アメリカで人気を博し、紫系バラの先駆けとなりました [3]。
- 1957年: アメリカの女性育種家フィッシャーが「スターリング・シルバー」を発表。それまでのバラにはない、冷たく澄んだ美しい薄紫色は、世界に衝撃を与え、「青バラ」への期待を一気に高めました [3]。
- 1964年: ドイツのタンタウが「ブルー・ムーン」を発表。スターリング・シルバーよりも樹勢が強く、育てやすいこの品種は、紫系バラの決定版として今なお世界中で愛されています [3]。
その後、日本でも鈴木省三氏の「青空」(1973年)や、寺西菊雄氏の「マダム・ヴィオレ」(1981年)、そして「最も青に近いバラ」と評された小林森治氏の「青龍」(1990年代)など、数々の美しい紫バラが誕生しました。
交配では越えられなかった壁
これらの品種は、いずれも「青紫」や「藤色」であり、空のような本当の青ではありませんでした。
育種家たちの長年の努力は、バラが持つシアニジン色素の赤みを極限まで減らし、青みを引き出すことに成功しましたが、存在しない青色色素を作り出すことはできませんでした。
交配による品種改良は、親が持つ遺伝子の組み合わせを変えることで新しい形質を生み出す技術です。
親が持っていない遺伝子を新たに作り出すことはできないため、青色遺伝子を持たないバラから青いバラを生み出すことは、交配という手法そのものの限界だったのです。
バイオテクノロジーが切り開いた新時代
従来の品種改良が行き詰まりを見せる中、1980年代に飛躍的な進歩を遂げたのがバイオテクノロジーでした。
他の生物の遺伝子を植物に導入する「遺伝子組換え技術」が、不可能への扉を開きます。
サントリーの14年にわたる挑戦
この夢の技術にいち早く着目したのが、日本のサントリーでした。
1990年、サントリーはオーストラリアのバイオベンチャー企業カルジーン・パシフィック社(後のフロリジーン社)と共同で、青いバラの開発プロジェクトをスタートさせます [4]。
その道のりは、まさに試行錯誤の連続でした。
- 1991年: まずは青い花を咲かせるペチュニアから青色遺伝子を取り出すことに成功。世界に先駆けて特許を出願し、大きな一歩を踏み出します [4]。
- 1994年: 取り出したペチュニアの遺伝子を導入したバラが初めて開花。しかし、期待に反して花は赤いまま。青色色素は全く検出されませんでした [4]。
- 1995年: 同じペチュニアの遺伝子をカーネーションに入れたところ、見事な青紫色の花が咲きました。これが後に「ムーンダスト」として商品化され、バラ開発で苦戦する研究チームを勇気づけました [4]。
バラでの困難と突破口
なぜカーネーションでは成功し、バラでは失敗したのか。
研究チームは、遺伝子の「相性」の問題だと考えました。
そこで、リンドウやチョウマメなど、様々な植物の青色遺伝子を試しますが、それでもバラは青くなりませんでした。
転機が訪れたのは1996年。
パンジーから取り出した青色遺伝子をバラに導入したところ、ついに花びらにごく微量のデルフィニジンが検出されたのです [5]。
さらに研究を進め、デルフィニジンを効率よく作り出すために、イリス(アヤメ)が持つ別の遺伝子(DFR遺伝子)を追加で導入するなどの工夫を重ねました。
その結果、デルフィニジンの含有率は飛躍的に向上し、1999年には肉眼でもわかるほど青みを帯びたバラが咲くに至ったのです [4]。
遺伝子組換え技術の詳細
この開発で中心的な役割を果たしたのが、アグロバクテリウムという土壌細菌を利用した遺伝子導入法です。
この細菌が持つ、植物に自分の遺伝子を送り込む性質を利用し、目的の遺伝子をバラの細胞に運び込ませるのです。
遺伝子が導入された細胞を、植物ホルモンなどを調整した特殊な培地で育てる「組織培養」という技術によって、時間をかけて一本のバラの個体に再生させます。
遺伝子導入から開花までには約1年。
気の遠くなるような作業を繰り返し、ついに不可能は可能になったのです。
世界初の青いバラ「アプローズ」誕生
パンジーの遺伝子との出会いから約8年。
ついにその瞬間が訪れます。
2004年の歴史的発表
2004年6月30日、サントリーは世界で初めて青色色素をほぼ100%含むバラの開発に成功したと発表しました [5]。
14年という長い歳月をかけた挑戦が、ついに実を結んだのです。
ただし、その花の色は、多くの人が想像する空のような青ではなく、気品のある「青紫色」でした。
これは、バラの花びらの細胞内環境が、デルフィニジンが真っ青に発色するには適していなかったためです。
しかし、紛れもなく青色色素を持つ、正真正銘の「青いバラ」の誕生でした。
商品化までの道のり
開発成功後も、すぐに市場に出せるわけではありませんでした。
遺伝子組換え作物は、生態系への影響がないかなどを厳しく審査する「カルタヘナ法」という法律に基づき、国の承認を得る必要があります。
約4年間の栽培試験などを経て、2008年に一般の圃場での栽培が承認されます [5]。
そして2009年11月3日、ついに「SUNTORY blue rose APPLAUSE(アプローズ)」という名で、切花として全国での販売が開始されました [5]。
「APPLAUSE」は「喝采」を意味します。
そして、かつて「不可能」の象徴だった青いバラには、「夢 かなう」という新しい花言葉が与えられました。
アプローズの特徴
アプローズは、夜が明けたばかりの空を思わせる、みずみずしく神秘的な青紫色をしています。
その香りは、従来のバラとは一線を画す、爽やかでフルーティーなものです。
まさに、科学の粋を集めて生まれた、特別なバラと言えるでしょう。
青いバラが教えてくれること
青いバラの物語は、単なる新品種開発の歴史ではありません。
それは、人類の飽くなき探究心と、科学の可能性を私たちに教えてくれます。
不可能を可能にした科学の力
従来の品種改良が、親から子へと受け継がれる遺伝子の「組み合わせ」を変える技術であるのに対し、遺伝子組換えは、生物の種の壁を越えて、狙った遺伝子を「追加」する技術です。
青いバラの誕生は、このバイオテクノロジーという新しい手法がなければ決して成し遂げられませんでした。
それは、長年の育種家たちの夢を、科学の力が引き継ぎ、実現した瞬間だったのです。
まだ続く青への挑戦
アプローズの誕生はゴールではなく、新たなスタートでもあります。
研究者たちの挑戦は、より鮮やかな「真っ青」なバラを目指して今も続いています。
近年では、バラ自身が持つシアニジンを元にした青色色素「ロザシアニン」が発見されたり [3]、矢車菊の青色発色のメカニズムが解明されたりと、新たな知見が次々と生まれています。
これらの発見は、遺伝子組換えだけでなく、全く新しいアプローチで青いバラを生み出す可能性も示唆しています。
いつの日か、誰もが思い描くような空色のバラが、私たちの目の前に現れるかもしれません。
まとめ
「不可能」の象徴から「夢 かなう」の象徴へ。
青いバラの物語は、一つの花をめぐる、何世代にもわたる人類の情熱と知性のリレーです。
科学的な制約という高い壁に、伝統的な育種技術で挑み続けた人々。
そして、バイオテクノロジーという新たな鍵でその扉を開いた研究者たち。
この壮大な挑戦の歴史は、私たちに、諦めずに探求し続けることの尊さを教えてくれます。
青いバラは、科学とロマンが見事に融合した、21世紀の奇跡の花なのです。
参考文献
[1] サントリーグローバルイノベーションセンター. 「誕生の秘密|世界初!「青いバラ」への挑戦」. https://www.suntory.co.jp/sic/research/s_bluerose/secret/[2] 農研機構. 「野菜花き研究部門:青色」. https://www.naro.go.jp/laboratory/nivfs/kiso/color_mechanism/contents/blue.html
[3] 姫野ばら園八ヶ岳農場. 「【12月号】人類の果てなき夢 青いバラへの挑戦」. https://himenobaraen.jp/engei_blue_rose/
[4] サントリーグローバルイノベーションセンター. 「開発ストーリー|世界初!「青いバラ」への挑戦」. https://www.suntory.co.jp/sic/research/s_bluerose/story/
[5] Wikipedia. 「青いバラ (サントリーフラワーズ)」. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E3%81%84%E3%83%90%E3%83%A9_(%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%BA)